子どもは勉強なんかしなくてよい

学力など国力の言い換え。国家の都合。
学力低下は国力低下だから困るのであって、無教養が増えるから困るのではない。
そんな大人のいうことなんかきかなくていいよ、みんな。
学問は楽しむもの。楽しいもの。苦しいものではない。
試験で点数を取るものではない。国力のためのものではない。

ああくだらねぇ日本企業社会  FUCK人事部へ 東大学生部が『就職活動の手引き』中で次の旨述べている。

(1)自己の特性を具体的なエピソード付きで短時間で簡潔に述べられるように

(2)社会現象に関心をもち、日常的な会話に事欠かないように

(3)大学生活で得たものをどう生かすか、述べられるように

こういうものをみるとうんざりする。なぜか。例えば(1)〜(3)を自分の場合で考えてみるとこうだ。

「わたくしは両親が半離婚の荒れた家庭と不良だらけの劣悪な教育環境で育ちまして、小中学校ではほとんど学校に行っていません。しかし、高校生のときに勉強が楽しくなって大勉強し、東大法学部に合格しました。合格後も、一時期運動部に所属していた以外は人付き合いなどせずに、数学などの勉強をしていました。面白いからです。

社会現象はただの雑音であって知る価値がなく、そんなことをしている暇があったら古典に沈潜する方が有意義というのがわたくしの哲学でありますので、そんな時事問題は知りません。電車脱線事故はさすがに派手でしたので知っていますが、それについて考えたことは、社会全体が悪いということです。運転手を急かした過密ダイヤ、日勤教育の根底にある、スピード優先思想、人間機械化思想が問題です。これはどこの社会にも存在します。ゆえに社会全体が悪いのです。社会全体が107人を殺したのです、スピードと引き換えに。

大学で得たものは、数学の知識です。これを自分の幸福のためだけに生かそうと思います。

以上がわたくしの特性です」

こんなことを述べて、採用してくれる企業があろうはずがない。(1)〜(3)の事実を現実に即して述べたにもかかわらず、である。したがって、私のような人間は、どこの組織にも入れない可能性がある。そうすると、働けない。したがってお金がもらえない。すると、食えないから、死ぬかもしれない。しかし、人間は死ぬことを避けるようにプログラムされているので、何とか生きようとする。そういう状況でなお生きようとすれば、窃盗、強盗しかないであろう。それはどうなるのか。期待可能性がないから不可罰か。

世間はニートで溢れているというが、ニートだって事情がある。働きたくないから働かないとは限らない。私のように社会から干されて鬱になり、自暴自棄になって働かない人もいるのではないか。彼らは、そのうち不満が最高潮に達して、殺人でもやるかもしれない。それは仕方がないというものである。自分の性格、経歴のために働けないのでは、社会のルールなど守る気になれるものか。法が一種の暴力に見えてきて当然である。
人物評価などやめてしまえ。働く意欲さえあれば、どんどん入れろ。組織が人物で選良をやっているからニートが増えるのだ。