一 政治的陰謀論について

1 この10年ほどの日本の政治経済の目標は、新自由主義に適合的な社会環境(経済流動性の高い社会)を作り出すことであり、インターネットの有害サイトが「政府によって」利用されたのは明らかである。なぜならば、政府が狙っていたのは経済流動性の高い体制にとって邪魔な分子(頭が固く消費性向が低い人々)の排除であり、そのためにインターネットは最強の洗脳道具となるからである。すなわち、悪質な表現や人格攻撃などはすべて政府が主導していたものなのである。あなたがインターネットで遭った被害は、すべて政府のシナリオだったわけである。

2 そもそも、政府は21世紀初頭の小泉政権ころから、税金を大量投入してインターネットに業者をはびこらせ、若者を中心に古い日本人の思考が変革されるような刺激的な情報を反復継続して流し続けた。それによって、若者の思考は、20世紀のそれから、一定程度は改革された。しかし、2007年春ごろから、この計画に様々な破綻が現れ始め、洗脳効果も頭打ちとなり、計画が失敗であったことが政府企業間で認識されるようになった。すなわち、日本はアメリカのような経済流動的な社会に変われそうもないことが明らかになってきたのである。

3 2007年夏以降は、インターネットによる洗脳活動への反省から、徐々に先祖返り論が頭をもたげ始め、これからは経済流動性や消費バトルではなく、日本人の相互愛による緩やかな経済にしていくべきだという主張が説得力を持ち始めた。また、インターネットにおいても、経済効果が薄れはじめ、さらに青少年の自殺が増加したことで教育団体等から批判が相次いだことから、インターネットのデメリットが経済的メリットを上回ってきたと判断した官僚は、徐々にインターネットを規制する方向で動き始めた。インターネット規制法案はその流れの中で作成されているものである。また、2007年秋ごろから、政府の企業に対する取締りが強化され始めた現象も、この文脈に符合する。

4 注意すべきは、以上に見たように、官僚は青少年の健全な育成を考えて規制法案を作成しているのではないということである。あくまでインターネットの経済的メリットがなくなったから規制を始めたに過ぎない。官僚は青少年のことなど何ほども考えていないという点がもっとも重要である。この点は今後の政治にも顕著に現れるであろうから、よく認識しておいてもらいたい。

二 法イデオロギー的な評価について

1 では、この規制法案は、法的にはどうか。

2 わが国の憲法は、個人の尊厳と公共の福祉の調和を理想としており、表現の自由も公共の福祉によって制約を受ける。そうすると、魑魅魍魎と悪質な表現うずまくインターネットを規制するのは、公共の福祉にかない、当然のことである。

3 規制法案の中身を見ても、過度に表現の自由を制約するものはなく、極めて合理的なものとなっており、批判の余地はない。いつものことながら、官僚の作成する法案は、法イデオロギー的には100点満点である。この規制法案に対して騒いでいるのは、法律実施によって経済的な損失を被る可能性のある各種業界であって、その反対理由にはこれといって合理性はない。相変わらずいつもの調子でレトリックと極論を多用し、都合の良い結論を導いている。これらは無視すべきである。

三 まとめ

以上の通り、インターネット規制法案1つをとっても、官界、政界、財界の思惑が複雑に絡んでおり、一筋縄ではいかないということが分かる。むしろ実態としては、政官財の利益の観点から規制法案が作成されているといえよう。本論考を通して日本社会の矛盾や複雑性を理解してもらえれば幸いである。