ロースクールは憲法22条1項に違反する

法曹業に対する職業選択権(憲法22条1項)に対して、我が国では規制の多すぎること甚だしいものがある。旧司法試験でさえ合格率2%程度と非常に厳しいものだったが、新制度でもロースクールや新司法試験などその負担過重ぶりは目に余るものがある。司法試験を受験するのは一部の一流大学卒の者が多いのであるが、大学を卒業するまでにお腹一杯というほど勉強させられてきたのに、何ゆえそれにプラスして4年も5年も勉強させる必要があるのであろうか。無駄に多くの知識を蓄えるだけで一生が終わってしまうのではないか。そもそも、ロースクールでの教育や新司法試験の内容は、ロースクールがなくても、実質的には独学や予備校でも十分間に合う内容である。教育や試験内容の実態は、ロースクールが必要不可欠というものでは決してない。その授業や試験は、実質的にはセレモニーとなっているにすぎない。このような点から見ると、ロースクール制度は、大学の集金や国家への法曹の束縛など、他の暗い意図のために存在する可能性が濃厚である。試験委員による問題漏洩やコネクションによる優遇の横行など、昨今のニュースで知られるロースクールの醜聞もそれを裏付けるものだろう。しかし、そのような憲法上正当化しえない目的のために、制度を仮託的に利用することは断じて許されない。

形式的にも、「一般に営業の許可制は、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合には、許可制に比べてより緩やかな規制によってはその目的を達成することができない、と認められることを要し、この要件は、許可制そのものについてのみならず、その内容についても要求され、許可制の採用自体が是認される場合であっても、個々の許可条件については、更に個別的にその適否を判断しなければならない。」(最大判昭50年4月30日民集二九・四・五七二 薬事法距離制限違憲判決)。法曹業の規制は、自由な法曹業による悪徳弁護士の跋扈等の弊害防止や質の高い法曹を養成することを目的としているとするが、立法事実に照らすと、ロースクール制度がなければ悪徳弁護士が防止できないという事実(リアリティ)は我が国には全く存在していない。負担加重な試験制度こそまさに「元をとらん」として悪徳弁護士の発生を助長させているし、3年間の座学を修了すれば悪徳弁護士にならないような性格ができあがるとするのは実質を無視した牽強付会な論理である。また、座学やペーパー試験によって出来上がる法曹というのは、訴訟実務の優等生ではなく、たんなる法理論や学説に詳しいだけの法律オタクにすぎない。そのような法律オタクを質の高い法曹と定義するのは、新時代の法曹システムに適合しない。この点で、学者主導のロースクールが質の高い法曹を養成しているとするのも多分に疑わしい。そもそも、悪徳弁護士の防止や質の高い法曹を育成するのならば、激烈なペーパー試験や座学ではなく、修身を行わせることが先決であるし、新時代のシステムに適合した質の高い法曹を養成するのならば、早めに社会に出して競争の中で淘汰させるべきである。このように考えてくると、ロースクールというシステムは、悪徳弁護士の排除や質の高い法曹の養成にとって貢献が乏しく、結果的に無意味な制度により職業選択権を過剰に制限しているといわざるを得ない。よって、ロースクールや新司法試験による法曹業の許可制は、許可制の採用自体は是認される余地があるとしても、個々の許可条件を更に個別的に検討してその適否を判断したところ、その大部分が法曹業に対する職業選択権を不合理に侵害する内容となっているものであって、憲法22条1項に違反するというべきである。

以上のとおり、ロースクールは職業選択権を不合理に侵害した違憲な存在であり、国法秩序上の存在理由を欠いているから、即刻廃止されるべきである。