大学に行くと言うのは、金を落としにいくようなものである

ハイ、鉄道会社にお金あげました〜

ハイ、食堂にお金あげました〜

講義はどうなのかというと、なぜこんな講義録で済むようなものに何十万もの学費を払わねばならないのか。誰が見ても不条理ではないか。なんとしてでも金を取る気なのである。学生は大学に行くことで金を落とすが何も身につけられない。何かを身につけようと思ったら、実のある資料をそろえて家でじっくり机に向かえばよい。学生に知識能力を身につけて欲しかったらそうするのが筋である。だがしない。なぜ毎日大学に出て行く必要があるのか?もとから理由は無いのである。金を落とす為が正解である。

だからといって大学に行かぬわけにも行かないように仕組んでいる。大学の試験問題は卑怯にも講義から出る。というか、講義を聴いていないと到底対処できない仕組みになっている。誰も本当のことを言わないけど、学校の試験に挑む人なら薄々気づいていることだ。敢えて説明するなら金の論理だ。それ以外にない。講義をカバーしていないと解けないようにすることで、学校へ無理矢理引き出してきて金を落とさせる仕組みだ。

又吉先生の塾は、掘っ立て小屋で、月謝4000円という格安で、教科書中心主義のウソのない一対一の授業をし、さらに生徒の送迎までしていたという。そこには金は度外視してでも真理真実を身につけさせると言う真の教育精神がある。

今の教師はどこも最悪だ。今流行のスタイルは、教育ではなく、詐欺である。生徒を一箇所に大量に集め、教師が教壇からパフォーマンスをする。教壇どころじゃない、ビデオ、通信なんて場合もある。ただのルーチンである。しかも、合格に必要なかなめの情報はなかなかださない。代わりに、どうでもいい問題を引き伸ばし引き伸ばし解説して時間をかせぐ。奇抜な問題を出したりして生徒の関心を引く、芸をする、模試に金を使わせるよう仕向ける、不要な本を買わせる、などなど。

予備校ほどでなくても、大学も腐っている(むろんマスとしてである。一部にはよい教師もいる)。これは既に述べた。

何も知らずに、大学に行けばなんとかなる、安心感が出ると言うので、目的も無いくせに大学に出てきて、一時限から机につっぷして寝ている。こういう奴に限って要領をわきまえているから試験に出るところは押さえる。大学で営業部の修行でもしているのか、馬鹿か。しかし大学全体がそれを容認しているのでどうしようもない。

本当に学問をしようとおもったら、資料を大量に集めて家でじっくりやるのが一番である。それがもはやない。政治のせいである。