顔に年輪を刻みしわくちゃで老けた男が良いのだ、40過ぎたら顔に責任を持て、と言われるが、これこそサラリーマン文化である。必死に会社に奉仕し、磨耗し、責任感の重圧で白髪になり頬がこけて、死ぬか死なないかのところにある男がよいというわけだ。しかし、これはしょせん、子供心が抜けてしまい、好奇心もなくなって、感情がゼロに近くなって今にも死にそうな会社人間を生かしておくためのキャンペーンである。

客観的に見れば、仕事をしすぎて疲弊してしまったただのサラリーマンではないか。

私見によれば、童顔でも幼稚な発想をしていても、何歳になっても子供心を失わず好奇心を持って何かに取り組んでいる大人こそ、魅力があるというべきである。問題はその人の脳の可能性である。顔がしわくちゃであるとか、そんなことに何の価値があるか。しがらみにとらわれるとか、世間の荒波にもまれるとか、そんなもん、何の価値も無い。たんにサラリーマンを精神的に支える為に作り出されたフィクションである。サラリーマン文化である。生かさず殺さずにしておくためのものなのである。

これほど物質的に豊かになった社会でも、まだその発想がある。物質的に豊かになったら精神的に豊かになろうと思わないのか、と思うが、どうもこの国はサラリーマン病に罹っているので、どうしようもない。