日本人のモノの考え方

強い妄想と習わしでできている。それぞれアイドルがいて、それを崇拝している。いったん思いこむと、人の話は聴かない。大人の思考はほとんどこれ。今ではカネで統一されている。カネなんてただの紙切れだが、これに意味があると思いこまされているのだ。本質は、馬鹿な女子高生がアイドルをおっかけているのと同じ精神構造なのだが、言っても聴かない。どうしようもない。大学受験生なら、東大を神と思っている。東大なんて物体としては汚い建物にすぎないが、マスコミの妄想を作り出す力はすさまじく、あれが聖地のごとく考えている。

習わしとは、〜は〜と評価することになっている、という世間のルール。東大生は頭が良い、いい会社に入れば人生安泰、髪の毛を染めてれば一律にイケメン。羞恥心とかいう、大していけていないグループのコンサートに女が群がっているのをみると、妄想の力は凄まじいと思う。知りたくない言葉は脳内から消して、あんな男たちでもイケメンと強く思いこむことにより、あれでイケメングループになってしまうのだ(一回西洋の美男美女を見た方が良いよ。日本のイケメン美女はどうみても虚構)。世の女は、ともかくそういう思考操作をしなきゃいけないところまで精神的に追い詰められている。端から見ると大笑いだが、当人たちは真剣だから、ウソをバラすと殺されかねない。

話をカネに戻すが、カネは紙切れである。これは政治を言い換えたものにすぎない。カネカネ言っているときの本当の意味は、世の中政治が全て、ということだ。東大のようなボロ小屋が学問の象徴であるように、紙切れに過ぎないカネは政治の象徴に過ぎない。こんなもん、ルールが変わったり、ルールが通用しなくなったら消えてなくなるのに、人は何を必死になっているのかと思う。

死ぬ間際にはすべてのルールが消える仕組みになってるんだよ。見事に操られて生きてくれましたね、と宣言されるだけの話。もっと本質的なことに目を向けて生きたらどうか。