友人は少しでも良いしいなくてもよい

友愛精神を大事にする日本は異常である。ありとあらゆる場面で、友達と仲良くやっていることがよしとされる。確かに、中立的な視点に立っても、友達がいることはよいことなのだろうが、日本の場合、異常である。不必要なまでに煽る。

これは、金の論理ではないが、金の論理を成り立たせる基盤である社会を維持しておく為の政治政策である。日本は同調圧力と言う機能をうまく活用して、人々をある方向に慣らしていくので、それには一人一人に友達がいなければならない。友達がいれば、皆と同じようにしなければならないという圧力が働くので、有無を言わさず、一定の思考になってしまう。そこから外れることは恥ずかしいことであると思うようになるのである。

しかし、友達が少ないと、その機能が働きにくい。日本社会は、孤立することで、日本社会に合わないようなイデオロギーが醸成されることを過度に嫌っているので、友達が少ないと言うことは危険なのである。孤立すれば、同調圧力による洗脳が利かないので、個人の中でどんどんと反体制思想が生まれてくる可能性がある。これを嫌う為に、友愛精神を必死で煽るわけだ。

それでも人は他者との関係なしには生きられないので、友人には一定の価値があるが、それには普遍的価値に照らした必要性の見極めが必要である。今のように、もっぱら同調圧力を狙っている為に過度な扇動をするのは、不要である。そうした隠れたイデオロギーを取り去った、必要性と相当性に基づく友人関係の価値が模索されるべきである。例えば、友人の数が少ないということで悩むことが既に病的である。悩むべきとすればそれは他者との関係が欠乏している為に幸福でない、という点だ。ゆえに、友人が一人であっても、その幸福があるならばそれで満足する。友人がいなくても幸福ならそれでよい。数を問題にするのは金の論理であって実にくだらない。