国民は民主主義体制をいかんなく利用しつくせ

民主主義とは、国民が王様であり、法律を通じて国家を制御する考え方である。日本の法律制度は、少なくとも建前では、この原則に基づいて動いているのだから、国民が王様だと主張して、何も問題はない。しかし現実は逆であり、国家が王様になっている。例えば役所で泣きながら頭を下げている場面があるからである。国民はせっかく民主主義の制度があるのに、なぜそれにきちんと乗っかって、民主主義を強化しようとしないのか。しようと思えば、できるのに、しないのである。

その原因の一つには、国民が意見主張をすることがないように仕組まれていることがある。つまり、国家の方で何か重大な悪事があっても、その情報が事実上の巨大権力によって機密にされてしまうため、国民にとっては無いことと同じにされる。だから誰も怒りようがないし、意見も言いようがない。その代わり、マスコミによって当たり障りの無い事件だけ公にされ、そちらに注意を向けさせられる。国民は民主国家の一員としていかにも政治に参画しているような見た目を与えられるが、実は遊ばれているだけなのである。このほかにも、具体的な個々の国民が、意見主張をする気がなくなるようにしている仕組みは無数にある。その数は多すぎて枚挙に暇がないが、とにかく今でも国家が王様なのである。

しかし、人間社会の理想を考えれば、民が主人公たるべきことは変わらない。官が主人公であり続ければ、必ず官に都合のよいように人生を決められてしまう。そんなうんざりする時代は20世紀で終わりにすべきである。21世紀は、国民がもっと知識・知恵をつけ、権利意識を持ち、民主制度の体制をいかんなく利用して、主体的に政治参加し、それによって本当に豊かな人生を獲得していく時代である。今の日本の民主主義は、はっきり言ってギャグである。国民はもっと怒れ。



人間関係ってのは社会全体の政治(さらに国際政治)が規律しているわけだから、その政治を抜きにして真空の中で考えても意味が無いのである。たとえば、若者と老人の関係を分析するときでも、若者や老人が生きた時代の政治を具体的に明らかにして、その政治によって形成される価値体系がどんなものか、若者の価値体系と老人の価値体系はどうなのか、どう食い違うのか、どう重なり合うのか、それを分析しないと、解決するわけない。

なんでこう言うことがこの社会に無いかというと、それを明らかにしようとすると、社会のウラの構造が露見してしまうからであり、また老人は常に自分の価値体系を若者に押し付けようとするからである。それだけの話である。そこには公正な解決の地平がない。たんに老人が威張り腐っているだけの話。何も正義は無い。

実際、正義がないもんだから、若者が老人を殺す事件が全国各地で起きている。やれ刺した、やれ放火した。マスコミに出る数より、実数はもっと多いはずである。今の若者は、資本主義経済の下でファミコンやインターネットで育った世代であり、成長期のガンバルマン精神を体験していない。絶対に若者と老人の価値体系が食い違う。客観的にはそれが重要問題であるはずだが、社会に露見すると不都合なのでマスコミが隠す。隠し通せれば何とか隠し通すつもりなのである。どうしても社会は平和に行っているという夢を見せたいらしい。そんな都合がいいはずが無い。現実はカオスが渦巻いている。これも政治の無責任、政治の一貫性のなさのせい。