どうも日本の真の支配者は場当たり的能力だけ磨けばよく身体性や性格は改善しないで良いらしい

なぜか。支配者は、社会に出てこなくてよいから。死ぬまで機関車のコクピット、暗闇にいるのだから。で、マスコミに、支配者は国民にタメにやっているという巧妙な幻想を作らせて流しておけばよい。それで愚民は勘違いして感謝するし、よもや殺害しにくることはない。要するに、感情さえも、技術。つくりもの。人工物。ただの要領のいい人間、事務処理人間ばかりだ。あいつらは、本当に頭だけの人間だ。一体この国には、本当の人間はどこにいるのか。高偏差値の事務処理人間と頭パーの愚民ばかりが目に付き、中庸を得た人間はほとんどいない。

日本社会がつまらない理由

要するに現代人の生きている場所は言語的造形物にすぎないから、言語的に理解してしまえばそれで終わりだからだろう。言語に絶するもので溢れているのが本当に豊かな社会だが、今の日本にはそれがない。人間さえも言語的造形物になってしまった。もはや自然な付き合いも知的創造もない。あらかじめ決まったように物事が進行する。ある立場に立てば、明晰な言語で整理されてしまう。大人になると、金が全て。金のために生きている。自然なものは何もない。そこまでくると、先が見える。言語ですべて捕まえてしまえば、すべてが現在化し、未来が消える。当たり前だろう。死ねば苦痛はないが、未来も豊かさもない。実につまらない。いまでは、10代の若者さえ、そのように老化している。受験に失敗したら、人生終わり。就職に失敗したので、自殺。あほかと。本来の人間社会は人生はそんな機械みたいなものではない。支配者は、社会の作り方を変えるべきだ。

日本社会は官僚東大のつくりものでしかないという前提をそろそろ認めましょうや

現実を見たら、日本は北朝鮮と同じようなとても悲しい社会だったのですが、何か?

身体性から改善する教育をだね、しろといっているのだよ渡海紀三朗君。君は学校の教育プログラムで、児童生徒の思考習慣を根本から純化するための仕組みを整えているのかね。今の文部科学省がしているのは、一見公平に見えるが実は産業ロボット養成に偏向した奴隷教育ではないか。貴様、いいかげんにしろよ。

国内にいくら素晴らしい学者がいても、そいつが政治をしない限り、何の意味もない

西洋の物まねをすると言う意味で有能な基礎科学者はもう出尽くしていて今更の感がある。若者が考えるようなことはすでに70のじいさんが考えている。素晴らしい文明知も実現しなければ何の意味もないだろう。

第二回答練問題

第一問

「高学歴ニートは非常に危険である」と言われることがあるが、この意味を説明した上で、それに対してどのような対策が行われているかを論ぜよ。

第二問

公務員のAさんが、帰宅途中に不良高校生のB,C,D君に取り囲まれて因縁をつけられ、殴る蹴るの暴行が始まった。Aは、B,C,Dに対し反撃権があるか。理由とともに説明せよ。

第一問回答例
・一流大学の学生は優遇されているので、よもや体制反抗者にはなるまいという勝手な予想があるため、大学でもかなり真相に近い教育をしているところ(これに対して二流以下の大学では高校の延長のような講義をすることで学生に社会の真相をまったく気づかせないように工夫している)、もし東大卒のような者から体制反抗者が出ると、「社会のシステムを知り尽くした知能犯」という体制にとってもっとも脅威かつもっとも恐れていた人物が生まれることになる。要するに「制度の失敗」である。これが「高学歴ニートは危険である」ことの意味である。これに対して、「高学歴でもニートでは意味がない」とか「一度失敗すると這い上がれない」などの根拠不明なデマを流布することにより、高学歴ニートに心理的圧迫をかけ、就職させるインセンティブを与え、体制を揺るがす分子を社会に回収しようとするなどの対策を行っている。


第2問回答例
反撃権はない。その趣旨は、子どもの目には「大人は善良である」という法外観が設定されているため、反撃してしまうと、子どもの大人に対するイメージが崩壊してしまい、様々な支障が出るからである(究極的には、大人たちのウソの一部がばれてしまう)。

リーマンが必死に働いてやんの

学問と政治以外は妄想なのに。あいつら、ずっと後になって気づくんだろうな。会社も金も流行も文化も政治家のつくりだした妄想に過ぎないことに。山に住んでいる仙人から見れば、たいていの日本人は妄想みて誰かの都合に奉仕しているかわいそうな人間ばっかだよ。俺は天才なので子どもの頃から何が大切か知っていたし、今では社会の仕組みを全部把握した。具体的に言えば、この社会を作っている奴の脳内を完全にモノにしてしまった。背理法で色々考えていれば、どういう数学的仕組みになっているかはすぐに分かるんだが・・・。社会内部の本当の規則を全把握してしまったので、未来が消えた。もともと日本には未来がない。絶対的にないわけではないが、マスコミが言うような未来などない。これからはもっとないだろう。ここまできて、俺は日本なんてどうでもいいと思った。ユダヤ人がやっているような計画の方がワクワクする。日本の学界や官僚の老人どもの考えはつまらん。もっとラディカルなことやれよ。

日本人のモノの考え方

強い妄想と習わしでできている。それぞれアイドルがいて、それを崇拝している。いったん思いこむと、人の話は聴かない。大人の思考はほとんどこれ。今ではカネで統一されている。カネなんてただの紙切れだが、これに意味があると思いこまされているのだ。本質は、馬鹿な女子高生がアイドルをおっかけているのと同じ精神構造なのだが、言っても聴かない。どうしようもない。大学受験生なら、東大を神と思っている。東大なんて物体としては汚い建物にすぎないが、マスコミの妄想を作り出す力はすさまじく、あれが聖地のごとく考えている。

習わしとは、〜は〜と評価することになっている、という世間のルール。東大生は頭が良い、いい会社に入れば人生安泰、髪の毛を染めてれば一律にイケメン。羞恥心とかいう、大していけていないグループのコンサートに女が群がっているのをみると、妄想の力は凄まじいと思う。知りたくない言葉は脳内から消して、あんな男たちでもイケメンと強く思いこむことにより、あれでイケメングループになってしまうのだ(一回西洋の美男美女を見た方が良いよ。日本のイケメン美女はどうみても虚構)。世の女は、ともかくそういう思考操作をしなきゃいけないところまで精神的に追い詰められている。端から見ると大笑いだが、当人たちは真剣だから、ウソをバラすと殺されかねない。

話をカネに戻すが、カネは紙切れである。これは政治を言い換えたものにすぎない。カネカネ言っているときの本当の意味は、世の中政治が全て、ということだ。東大のようなボロ小屋が学問の象徴であるように、紙切れに過ぎないカネは政治の象徴に過ぎない。こんなもん、ルールが変わったり、ルールが通用しなくなったら消えてなくなるのに、人は何を必死になっているのかと思う。

死ぬ間際にはすべてのルールが消える仕組みになってるんだよ。見事に操られて生きてくれましたね、と宣言されるだけの話。もっと本質的なことに目を向けて生きたらどうか。